ドイツ・ミュンヘン大学体験記 

M3 Male

201411月頃やっと受け入れ先の研究室が決まる。もともと精神科の研究室に6月頃に連絡を取っていたのだが、10月になって診療科の構造改革のために受け入れは難しいとの連絡が来るという事態になったためである。12月になっても部屋は決まらず、結局航空券を先にとることに。12月後半になってやっとミュンヘンの留学生受け入れ担当からミュンヘン周辺に部屋の候補があるとの連絡を受け、自分の希望を伝え部屋が決まった。201516日の0時に出発、カタールで22時間のトランジットを経て、ミュンヘンに17日の午前6時頃到着。Giselastr.駅で成冨先生(留学生受け入れ担当。ミュンヘン大学日本語講師。)と、辻先生(東京大学文学部独文科名誉教授)に迎えに来てもらう。さっそく、Olympiazentrum駅に行って、管理局でお金を現金で払い、部屋の鍵をもらう。部屋の鍵の開け方が分からず、二つ隣の中国人になんとか助けてもらった。ドイツの鍵は独特なので、日本人はたぶん最初つまずきがち。部屋は夫婦用の部屋らしく390ユーロで十分な広さ。ドイツはセントラルヒーティングで、部屋に放熱機があるが、私の部屋は最初かなり寒かった。ずっと放熱機を最大温度で放置していたら、暖かくなった。実習開始の12日まで、スーパーでいろいろ買ったり(料理用の食材、食器、調理用具など)、洗濯をしてみたり、勉強が遅れていたドイツ語をちょっとやってみたり、実習内容に関連する論文を読んだりしていた。エレクラで東大から一緒に来たO君の扉の鍵が開かなくなるというトラブルがあったが、成冨先生・辻先生に鍵屋を呼んでいただいて、解決した。さて実習は、Hauptbanhof(ミュンヘン中央)駅とSendlinger Tor駅の中間ほどに位置するミュンヘン大学医学部の病院群の一角に存在するAdolf Butenandt研究所である。ノーベル化学賞受賞の生化学者Adolf Butenandtの名を冠したこの研究所は、ミュンヘン大学医学部の管轄であるが、特にエピジェネティクス研究に焦点を当てて6つの研究室が合同で一つの施設を運営している。そのなかでもクロマチン制御の仕組みやヒストンのメチル化修飾のカスケードを扱うProf. Gunnar Schottaのラボで実習した。実習開始の日は、朝のミーティングから始まった。一人一人に挨拶をして、担当のDr. Cernilogarにもそこで会う。ラボのメンバーは教授を含めてドイツ人3人、中国人2人、イタリア人2人、ブラジル人1人、イラン人1人と、日本人は私1人というかなり国際色豊かなラボであった。公用語はもちろん英語である。初めてのミーティングは集中すれば概要が分かったが、最初は周りの人達の議論が速くて聞き取れなかった。また英語でうまくコミュニケーションが取れないことに加え、文化的な違いにも戸惑うことになる。指導教官に初日の昼には「もうやることがないから帰っていい」と言われ、私に何か落ち度があったのかと混乱した。日本では、9時〜17時のコアタイムに大学病院or研究室にいることはほぼ必須だからだ。また次の日も「自分の時間は自分でオーガナイズしろ」と言われ、何をしていいのか分からずに待機していると、徐々に教授との打ち合わせや、研究室の鍵の入手など手続きが進んでいき、またプロトコルを渡されこの実験をしろとの指示があった。そうこうしているうちにやっと、私は私を受け入れる際にあたってのシステマティックなイントロダクションなど存在しないのだと気付いた。普段東大の臨床実習の定められたスケジュールをこなす日々とは全く異なるので少なからず動揺した。指導教官は忙しそうにしているので多くは質問できず、Ph.Dの学生、Masterの学生などに色々聞いて回ったりして、自分の実験に必要な試薬の位置、機器の位置、手順や注意事項などを見学しながらメモを取り覚えていった。一通り見学が終わると、あとはすべて自分でやるしかなかった。私が行ったのは、クロマチン免疫沈降法(ChIP-assay)によって、mouseES細胞における特定のヒストン修飾に対する抗体を用いて、そのヒストンと結合しているDNAを抽出しRT-PCRによって特定の遺伝子領域がpositivenegativeかを確認するものであった。特に、遺伝子のrepressorとしてさまざまな細胞・さまざまな疾患に関与するH3K9me3に対する抗体をまず用いた。ただ渡されたプロトコルに対して指導教官が口頭で変更を伝えてきて、ミスをすると「Pay attention!」と怒られるので、最初のうちは本当に大変だった。一回の実験で3日はかかるのだが、1月は色々と不慣れなこともあり、また月曜日のラボミーティングと水曜日のインスティテュートミーティングもあり、自分一人で完全にChIPをやり切れるようになったのは1月の終わりであった。指導教官は依然として忙しそうであったが、この頃になるとPh.Dの学生などと少しずつ仲良くなりはじめ、またミュンヘン在住の日本人研究者の知り合いの輪も広がり、心の余裕が出てきた。また1月最後のラボミーティングで、自分が東大で進めていた研究内容を発表した。

2月の初めにはKlinikum Großhardern駅の近くの寮に引っ越した。これはミュンヘン周辺の住宅事情が厳しく、1月からの寮が1ヶ月分しか取れなかったからである。一緒にミュンヘンにエレクラで来ていたO氏と一緒にキャリーバッグ2つを引きずりながら、雪の中をミュンヘン郊外の田舎に向かう寂寥感。2月になると、実験は完全に自分一人で進められるようになった。Schotta研は施設の7階だったのだが、私は6階のオフィスのPCを与えられたため、用事がなければラボメンバーと話さなくなってしまった。これでいいのかという焦燥感が募る。はIncubationCentrifugeなどで待ち時間が長く、また前述のとおり、一回の工程(クロマチンを細断してから、抗体を用いて沈降したDNAを得て、それをRT-PCRにかけるまで)に最低でも3日はかかる。東大で実験していた頃に比べたら時間に余裕がある状態で、それなりに手持無沙汰になった。これだけだとドイツに来たメリットが感じられない。なので、マックスプランク研究所の精神医学講座のセミナーや、インスティテュートで行われているセミナーやジャーナルクラブなどにも参加した。ハーバード大学から2人講演者がやって来たのだが、英語圏やEU圏との情報交流が密であることも欧州で研究することの強みであると感じた。ミーティングも含めてセミナーはすべてエキサイティングで面白く、内容のすべては分からないながらも、日本から遥か遠く離れた地でこれだけ様々な国々の研究者が同一の目的意識と高い解決能力を持って議論と研究を重ねているのを目の当たりにする体験は大いに刺激的であった。特に興味を持ったのは、ゲノム中で切断したい領域を切断できる遺伝子改変ツールCRISPR-Cas9システムを使ったホットな話題。また、詳細は省くが、内因性レトロウイルスをSETDB-1(ヒストンメチル化転移酵素の一つ)が抑制することはある細胞の分化に重要という話は、私が東大で通っていた研究室での話題とも関連がありそうであった。ただ、2月に入って実験に失敗し続け、何回やっても既知のpositive regionenrichmentが得られずに苦悩した。担当も「何が原因か分からない。自分で解決しろ。」といった様子だったので、どうするべきかかなり悩んだ。おそらくCentrifuge後のチューブ内のDNAペレットを乾かす際に、DNAペレットを吸ってしまうという手技的な問題だったのだが、かなり慎重にやる必要があり、自分なりの解決策を見つけ出す必要があった。泥沼から抜け出したのは3月に入ってからであるが、2月は研究が進まなかった分、旅行が充実していた。せっかく西洋社会に紛れ込んだのだから、日本にいるだけでは得られない価値観・より大局的な視野を手に入れる為に、西欧の様々な場所を見ておくべきだと思い、週末にはドイツ国内だけでなくイタリア・チェコにも足を運んだ。

ただ、3月の初週、チェコ旅行中に胃腸炎になってしまい、下痢と嘔吐と発熱により1週間ほどダウンしてしまった。明らかにウイルス性だと分かったので病院には行かず自宅で休んでいたが、いつまでも症状が良くならず、貴重な時間を無駄にしてしまったと後悔した。復帰後は実験が次々と成功するようになった。指導教官には「well done」と言われ、ようやく順調に物事が回り始めたと思ったら、帰国の期日が迫って来てしまった。最終日から2日前にようやく新規性がある実験に繋がっていきそうな結果が出たが、それが最後の実験となってしまった。結局、論文に使えるような実験はまったく出来ず、ただ私の実験の練習と勉強の為だけの実習になってしまったのがいささか残念である。エレクラで海外実習をしている同級生を見ると特にアメリカなどで臨床研究やdryの研究をしている人が成果をあげていて、wetの実験において特に今回のような実験に時間がかかる分野の研究で、3ヶ月で結果を出すのはなかなか難しいのではないかと感じた。最終日は「Onigiri Party」と称して、寮のキッチンで作った鮭おにぎり・ソーセージおにぎりをラボの全員に振る舞い、ささやかなfarewell partyとした。おおむね好評で、日本の文化を紹介することで、私もラボの皆から各々の国の文化などを学ぶ良い国際交流の場となった。また担当のDr. Cernilogarと教授のProf. Schottaにも今後機会があれば是非一緒に研究を、と言ってもらい、西洋式の抱擁をしてお別れをした。今まで一度も海外滞在経験がなく、初めて異国のコミュニティに飛び込むという経験をした私であるが、どのように受け入れられ、どのようにその中でなんとかやっていくかという一つの流れを学生のうちに経験できたことはとても有意義であった。寮で知り合ったミュンヘン大学やミュンヘン工科大学の学生(パキスタン人、中国人、台湾人、ドイツ人など幅広かった)とも仲良くなれたこともこれからの人生において大きくプラスになったのではないかと思う。これから留学を志す後輩には、ネガティブな面とポジティブな面を双方知って、自分がやりたいと思うことをすることをお勧めする。ただやはり、日本国内で臨床実習・研究実習するのに比べて「想定外の知」にたくさん出会えるのが海外実習の強みだと思う。特に、日本は民族的な均一性が高く、国際社会全体から見たらシステムであれ文化であれ、特殊なものが多い。そこを一度飛び出してより普遍的な人類知を追い求めることは、医学・医術を志すものとしては少なからず有用だと確信している。最後に、留学生受け入れの際に何から何まで手厚いサポートをしていただいたLMUの成冨先生、辻先生、そして留学生受け入れ担当として交渉などに御尽力くださったMs. EsnoufMs. Kern、そして未熟な私を快く受け入れてくださったProf. Schottaとラボの方々に深く御礼を申し上げます。