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東京大学国際保健学教室・東南アジアでのフィールドワーク

 

 私は旅行が好きで、以前から個人的に東南アジアをよく訪れていました。東南アジアの人々の主張がちでありながらおおらかな雰囲気に惹かれ、東南アジアで働きたいなと漠然と思ってみたり、実際東南アジアでの暮らしはどうなのだろうか、どんな問題を抱えているのだろうかと考えてみたりしていました。そんな折に友人から、国際保健学教室の神馬先生が東南アジアでのフィールドワークをECの期間にコーディネートしてくださるそうだから一緒に来ないか、との話をもらい、是非とその話に乗りました。神馬先生とは何度か打ち合わせをさせていただいて行き先を決定しました。現地の大学や病院あてに受け入れをお願いするレターを書き、向こうで案内を務めてくださる方々ともメールで打ち合わせを終えると、ついに東南アジアの国際保健に関する施設を訪問させていただく旅が始まりました。

 最初に訪れた場所はミャンマーの首都ヤンゴンにあるSave the Childrenヤンゴン支所でした。Save the Childrenは世界の各所において妊婦や乳幼児とその母親を主な対象に保険事業や教育などの活動を行っているNGOであり、ヤンゴン支所では、少数民族が多く住んでおり医療資源が行き届いていない地域を対象として、妊娠出産と産後の管理に関する知識を啓蒙する事業、補助助産師の育成事業、地域の医療従事者に対する強化研修などを行っていました。ミャンマーではこうした保健活動はほとんどNGOWHOなどの国際機関によって行われており、国の機関はあまり働いていないそうです。そのせいもあってか、ミャンマーにおける5歳未満児死亡率や妊産婦死亡率は、近隣アジア諸国に比べても高く世界的にも最底辺レベルだそうです。この話は私にとって大変衝撃でした。

 続いて訪れたのはFree Funeral Service Society(FFSS)という市民団体です。FFSSは元々ヤンゴンの貧困層を対象に無償で葬儀を行うために、ミャンマーの著名な俳優によって設立された団体で、その後無償の診療所や学校、低価格の食堂を開設し、様々な面で貧困層を支える団体となりました。その運営資金はすべて住民からの寄付によって成り立っており、ミャンマーの人々の助け合いの精神を感じられる場所でした。

 翌日は同じくヤンゴンのWHOミャンマー支局を訪問しました。通常はガイドラインの策定や政策などのコンサルタントに留まるWHOですが、前述のように保健省がほとんど役割を果たしていないミャンマーでは積極的に事業を執り行っているということでした。今回訪問した際には、HIVおよびそれに伴う活動性結核の防止に関する事業が行われていました。のんびりとしたミャンマーの中にあって、WHO内では活発な議論がなされ職員の方も大変忙しそうにされているのは印象的でした。

 次に訪れたのはDr.Hteins clinicという無償のクリニックでした。こちらのクリニックもまた、常勤の医師一人を除いてはすべて寄付とボランティアで成り立っているということでした。医学生も手伝いにくるそうです。前述のFFSSもそうでしたが、ミャンマーではこのようにお互い助け合う姿が随所で見られ、非常に感銘を受けたのを覚えています。生活保護をもらおうとすることでさえ批判の対象になりうる日本の現状がなんと残念なことか。

 ヤンゴンでの見学を終えると次は第二の都市マンダレーに移りました。マンダレーではマンダレー大学の医学生の案内のもと大学病院や市中病院を見学させていただきました。ミャンマーの病院は総じて設備が整ってるとは言えず、病室も大広間にただベットが並んでいるだけのようなところが多くありました。また、全国に医学部は4つしかないそうで、都市部でさえ医療者は全く足りていませんでした。しかし医学生達は優秀で、学生のうちから手技も積極的に練習しているようでした。ミャンマーでは医学部の数を増やすか、外国人医師を受け入れる態勢を整えることが優先度の高い課題なのではと感じました。一通り病院を見た後は、医学生たちに連れられて様々な観光地や大学の中を案内してもらいました。

ミャンマーの方々は学生に至るまでとても親切でおおらかでした。社会主義と上座部仏教の影響か、競い合うよりも手を取り合い、尊厳を大事にする態度をいたるところで感じました。それでもミャンマー人から見ると国全体で急速にそういった態度や風景は失われているそうで、資本主義や進歩主義もいかがなものかと考える機会がありました。

ミャンマーを後にすると次はラオスに向かいました。ラオスで最初に訪れたのは、首都ヴィエンチャンにあるまマホソット病院でした。マホソット病院はラオスで最も大きな病院の一つであり、Wellcome Trust基金からの支援の下研究も行っている施設です。様々な国から支援を受けて経営されていることもあってか、病院内はミャンマーの病院よりずっときれいで、NICUや高分解度CTを備えるなど設備面でも充実していました。しかし、こうした程度の高い医療を提供できる病院はヴィエンチャンにしかなく、加えて保険制度も様々な種類がある割には国民全体の20%もカバーできていないそうで、地方の医療水準はミャンマー同様非常に低いようでした。

マホソット病院を見学後、ヴィエンチャンから南部の都市パクセーに移動し、パクセー近郊の村でマラリアに関するフィールド調査を行っている方々の活動を見学させていただきました。フィールド調査では、マラリアの流行している村で住民の採血を行い、迅速診断で陽性となった方にアルテミシニンを配布しつつ、集めたサンプルにおけるG6PDの頻度を計測することが行われていました。G6PDの方はプリマキンにより重症の溶血を生じるため、プリマキンを地域単位で配布する事業を考える際に重要な指標となります。調査の開始に当たっては、村毎に村長の方と直接交渉し許可を得て村民を集めてもらっていました。この様子を見て、公衆衛生の分野では現地の方と信頼関係を築くことも非常に大事なのだと気づかされました。

 最後に訪れた国はタイでした。タイではまずバンコク病院を見学しました。バンコク病院は高度な医療サービスを提供する株式会社という形をとっており、医療ツーリズムの中核をなす病院です。病院の建物は日本の大病院に比べても大きく解放的で、まるで空港であるかのようでした。また、広く外国人患者に対応するために、英語カウンターはもちろん、日本語カウンター、アラビア語カウンター、果てはバングラディッシュ語のようなマイナー言語のカウンターまで用意されており、さらに宗教的に遠い人たちが隣合わないよう各カウンターのの配置にまで気が使われていました。娯楽施設としてショッピングセンターも併設しており、スムーズに海外からの患者を受け入れるべく出入国の手続きカウンターまでありました。高度な医療を提供するのはもちろんのこと、お客様を満足させるサービスを提供するといった株式会社らしい姿勢は、日本の価値観とはかなり離れているものの学ぶべき所も多いと感じました。

 バンコク病院の次は、スラムの保健事業を行っているシーカーアジア財団を訪問しました。バンコクには100単位のスラムが存在しています。一般的に想像されるスラムの様に治安が悪いわけではなく、今では国から認められ単なる密集コミュニティーとなっている所も多いという話でしたが、きらびやかな首都バンコクでそんなにもたくさんの人が劣悪な住環境の下に居るというのは驚きでした。

 旅の最後にはチュラロンコン大学のParkinson sectionを訪れました。そこでは、タイマッサージの総本山ワットポーで講師をされているという日本人の方が、パーキンソン病の症状をマッサージで治すことが出来るのではないかと研究をされていました。タイ医学の効果はタイ国内では認知されつつあり、実際バンコクのマヒドン大学ではタイ医学による診療科が総合病院の中に存在するほどです。しかし、その方によると、タイ医学界全体が理論の体系化に今まで積極的でなかったために、西洋医学との咬み合わせがよくなく、統合医療へと組み込まれてゆくにはまだまだ道のりが長いという事でした。タイ医学に関する施設もいくつか案内して頂き、同じタイ医学にも地域毎に違いがあること、それでも各々の盛んな地域では西洋医療と同等以上の信頼を置かれていること、タイ医学は生活の中に溶け込んでおり、例えばタイ料理の多くはタイ医学におけるハーブを使用していること、などタイ医学の様々な側面を見ることができました。

 以上のように今回の実習では、多種多様な保健活動や医療機関をまじかに見ることができ、沢山の新しい知見を得ることができました。そしてそれ以上に、それぞれの場所で各々の思うことに取り組む色々な人々に出会うことができ、自分がやりたいと思うことを実現しようとする勇気を沢山いただいたように感じています。井の中の蛙にならないようこれからもアンテナを張っていこうと思います。最後に、この実習の大半を手配してくださった神馬先生、各国各施設を案内してくださった方々、フィールドワークに参加させてくださった研究チームの方々、旅の途中に親切にして下さった地域の方々に、心よりのお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。