M3 Male

 

1. はじめに

 私は、201135日から330日までの4週間、アメリカMarylandJohns Hopkins大学(JHU)の研究室に留学しました。実は、私は当初国際交流室を通じてUniversity of PennsylvaniaU Penn)への研究留学の推薦をいただいていたのですが、ラボとのやり取りが上手く行かず、最終的に東大出身の澤先生がJHUでやっているラボへ受け入れて頂く形となりました。結果的に別の形で留学が実現した訳ですが、当初の目的を遂行できなかった戒めも含め、以下に体験記を綴ろうと思います。

 私が「海外へ研究実習に行きたい!」と思ったきっかけは特にこれというものがなく、恥ずかしながら具体的なプランを持って選考に臨んだわけではありませんでした。私は以前9年間アメリカに住んでいたことがあって、キャリアのどこかで戻りたいという気持ちを持っていました。また、大学に入った当初は研究に携わってみたいという気持ちを持っていたものの、2回のフリークォーターで行った研究室は部活動もあってその後継続して通うことはありませんでした。5年生の冬に折角まとまった時間が与えられるなら是非研究で海外に行き、海外の研究の場を肌で感じ、あわよくば将来米国で仕事をするときのための足がかりにしようと考えました。

アメリカで研究協定を東大と結んでいたのはU Pennだけであったので、第一志望をUniversity of Pennsylvania (research)として書類を提出して、選考に臨みました。

 

2. 選考

<M2までの準備>

私は駒場の成績こそ良い方だったものの、肝心の医学部に入ってからの試験の成績は決して良いとは言えませんでした。入りたての頃はギリギリで試験を通りつつも、部活に没頭したり、自分の好きな外国語やweb言語の勉強をしていて、M2が終わってみると、2年間で6つの追試を受けていました。ただ、以前からCBTは選考で重要になると聞いていたので、11月に部活のシーズンが終了してから医学全般を勉強し直して、なんとかtop 20に入ることができました。選考でどのくらい成績が重要視されるかは分かりませんが、出来ることはやっておいて良かったです。

また、勉強以外の準備では、予防接種が最も大事だと思われます。M1で打ったB型肝炎の抗体が付いていなかった場合Immunization requirementを満たさないことになってしまいます。

 

<選考>

 選考があった5月の時点ではまだ具体的にどの分野の・何科の研究室に行きたいかということも決まっておらず、漠然と神経系の研究室に行きたい、完全に基礎ではなく患者さんにも係れる研究がしたい(humanのサンプルを使用する、など)という考えが頭の中にありました。また、研修は日本でやり、臨床医としてキャリアを積むつもりだけれども、臨床の場で浮上してくる問題点を将来研究で追求してみたいという気持ちは強く持っていたので、とにかく考えていることを選考で伝えようと思いました。

今までに自分が医学以外でも取り込んできたこと(programmingや外国語に関するボランティアなど)や、漠然とながらも将来どういうことを目指しているか、ということを応募申告書に書き、日本語面接ではそれを説明する形になりました。英語面接では、私が海外で生活したことがあることを知っているからかMr. Holmesにかなり突っ込まれたことを聞かれました(「なぜアメリカでなくてはいけないのか」、「将来臨床に進もうと思っているのになぜ今研究に行くのか」、など)。あまり自分で満足できる本質的な答えは返せませんでしたが、感じていることを正直に述べて、結果的に選考を通していただき、U Pennへの応募が決定しました。

 

3.ラボ選び

 選考を通ったものは良いものの、具体的に神経に関わるどういう研究室に行くかということはまだ自分の中で決まっておらず、5、6月はNeuroscienceを勉強して過ごしていました。BSLを回っているうちに、自分は精神科の研究に最も興味があるのだろうということが分かり、コンタクトを取るのであれば精神科で、depressiondevelopmental disorder、またはpsychosisを扱っている研究室にしようと言うことを7月に決めました。丸山先生に奨学金の手続きや向こうのラボへのコンタクトの取り方を教えて頂いていたのですが、8月の東医体で実行委員・選手を兼ねて出ることが決まっていて準備や練習に没頭しているうちに、実際にラボに連絡を取ったのは9月に入ろうとする時になってしまいました。

 U PennのサイトでNeurosciencePsychiatryのラボの紹介ページを見ていた結果、3つほど自分がやりたかったような題材を扱っている研究室を見つけたので、第1志望であったラボのボスにtranscriptletter of recommendation, curriculum vitaeを添付してメールを送りました。(CVは丸山先生から頂いたformatに従って自分で作成し、Letter of recommendationは国際交流室のHPにあるformatに従って自分で書いたものを成績証明書と一緒に国際交流室に提出し、作成していただいたものをpdf化しました。)しかし、しばらく返信が頂けず、2週間ほど後に電話をしたところ、連絡はありがたいがラボが年末に移転するため、受け入れは難しいという返事をもらいました。(実は第1志望のラボのボスはAssistant Professorで、後ほど丸山先生に報告したところ、visiting studentの受け入れの権限がないということを教えていただきました。)他に考えていたラボにもメールを送ったところ、人の入れ替わりが年始に激しくなるので受け入れる余裕はない、といった返事を頂き、結局U Pennでの受け入れ先が決まらないまま11月になってしまいました。今考えると、全く知らない学生が受け入れ期間の23カ月前に外国から連絡してきて、すんなりラボに受け入れる、というのは難しかったのかもしれません。

これから交換留学協定で推薦状をもらおう、という人には以下のアドバイスを送ります。

 

 1)必ず受け入れを決定する権限があるAssociate Professor以上の先生とコンタクトを取って下さい。

 2)早め、早めにfirst contactを取るようにした方が良いと思われます(少なくとも夏休み前までに)。知り合いで少し遅めでも大丈夫だったという人もいますが、ラボに日本人の研究者がいらっしゃったり、ボスが日本人と親しかったりと少なからず特殊な事情があることが多い気がします。なるべく余裕を持って連絡を取り合い、また多くのラボと連絡を取って受け入れて頂けるようにしましょう。

 

 幸い、丸山先生にJHUにいる東大出身の澤明先生(Dr. Akira Sawa)のことを教えていただきました。JHUの精神科で統合失調症をメインに研究している先生で、研究内容も私が興味を持てる物であったので、コンタクトを取ってみました。年末に日本に帰ってきたときに話を伺うことができ、OKを頂くことができました。その後、澤ラボのresearch coordinatorであるLemaさんとコンタクトを取り、3月いっぱいJHUに行くことが決定しました。

 

4. 各種準備

 ラボ選びと並行して、資格や予防接種の準備を進めました。なお、通常は先方から受け入れOKの連絡を頂いた後にVisaの手続きをする必要がありますが、私の場合は入国関係が少し特殊だったため、ここでは言及しないことにします。

 また、アメリカでの医学をもっと知るためにUSMLE step 1も受けておこうと当初は考えていたのですが、東医体の仕事などで勉強時間が十分に確保できず、研究留学するにあたっては必要ないということから、受けずに終わってしまいました。

 

<TOEFL・英語>

前述したように、私は海外生活が長かったので、英語の勉強は特別にはしませんでしたが、U Pennの交換留学協定でTOEFL scoreが必要であったため、8月に受けに行きました。十分な点数は取れたのですが、Speakingの課題でかなり無茶ぶりが多く(あなたが最も嫌いな音楽は何ですか、のような質問)、英語に慣れておくことに加えてTOEFLの問題にも慣れておく必要があるかも、と感じました。高価ではありますが、ETSがやっているTOEFLpractice testなるものがあるので、活用してみると良いかもしれません。また、Mr. Holmesの企画に参加して、自分で英語をアウトプットする能力(speaking, writing)を重点的に見てもらうのも良いでしょう。

 実際にアメリカに行くと分かるのですが、いわゆる「標準的な英語」を話す人は本当にごく少数で、大学内では中国人、インド人、ロシア人、あらゆる人があらゆる訛りの英語をしゃべっています。また、アメリカ人でも黒人、ヒスパニック、白人(イタリア系、アイルランド系、等)それぞれが違う英語をしゃべっていますし、出身の地域によっても微妙に違います。私は「多分英語は大丈夫だろう」と思って行き、電話でタクシーを呼ぶ時に英語が聞き取れなかったことが何回もありました。その中で日本人が標準的な英語を聞き、話す必要は全くありません。伝える内容がしっかりしていれば、ラボの人でも寮の学生でも丁寧に聞いてくれますし、何回言い直しても聞き直しても大丈夫です。むしろ研究内容などについて良く考え、熱意を持って話すことが大事なのだと感じました。

 

<予防接種>

 大学に応募する際に、予防接種歴のformを提出しなければいけません。M1の時に受けたB型肝炎の抗体価、健康手帳、母子手帳の記録をかき集めます。破傷風、ジフテリアは10年以内の追加接種が必要なので、もう一度DPTを打つことになると思います。場合によってはツ反をやらなければなりません。また、Maryland州の法律により、寮に入る生徒は髄膜炎菌のワクチン接種も義務付けられています(U Pennに行く場合も同様だったと思います)。どうしても予防接種を受けたくない場合には「私は髄膜炎のリスクを知った上で、予防接種を拒否します」というwaiverにサインして大学に提出することも可能ですが、基本的には受けた方が良いと思われます。髄膜炎菌ワクチンの証明書はimmunization record formとは別にあり、寮で部屋を申請するときに送られてきます。

 抗体価を再び計らなければならない場合もあり、書類作成には1週間以上かかります。大体の大学はホームページにimmunization record formがアップされているので(JHUの場合はここ:http://www.hopkinsmedicine.org/som/students/policies/visitors.html)、ラボからOKをもらう前に書類作成をしてしまった方が良いかもしれません。

 

<Admissions>

 JHUで受け入れが決定した後、Official Transcript(駒場・本郷の英語の成績書)、Letter of Recommendation(学部長からの推薦状)、HIPAA certificateJHUのサイトで個人情報取り扱いなどについてのtutorialを受けてもらえる証明)、Immunization RecordApplication FormJHUでの保険料、登録料などの申請も含む)を郵送しました。郵送でしか受け付けない、ということだったので、不備があったら時間がかかった可能性がありますが、なんとか一発で書類を受け入れてもらえました。

 

<Housing>

 私の場合は、JHUでの受け入れが決定した後、Visiting Student CoordinatorEmma Eyという方を通して、Reed Hallという病院から徒歩1分の寮に応募しました。ここは、基本的にはJHUへのApplication Formが通ったあとでないと応募が出来ないようです。幸い、直前でも空きがあり、1ヶ月間部屋を$550ほどで借りることができました。

ただし、このReed Hall、古い建物であるので、20126月末に閉鎖されるということです。2013年以降は大学に隣接したstudent housingはなくなり、全員キャンパスから離れた場所に住まなければならないということです(off-campus housingについてはこちら:https://offcampushousing.hopkinsmedicine.org/)。

 

<お金>

 アメリカはクレジット社会です。しかし、私は日本では現金主義者だったので、大学の保険料や寮の代金も含め$2500持って行きました。何かあった時のために、自分のクレジットカードと、限度額が高い自分名義の家族カードを持って行きました。本当はATMでお金は下ろせたので、カードだけでも大丈夫だったと思うのですが、複数の人で外食をして割り勘するときや、自動販売機を使う時、洗濯機を使用するとき、ちょっとしたチップを払う時などのために、現金は用意しておく必要があります。結局、カードは電車やバスの券をネットで買ったりしたとき以外はあまり使わず、支出は旅行も含め$1000程度に収まりました。

 

5. Baltimoreでの生活

<Getting There>

日本からBaltimoreへはHISで購入した格安航空券で行きました。Baltimore周辺にはDCエリアも含め空港が3つあり、DCDulles International Airportには成田からの直通便もあるのですが、値段を重視した結果、Detroit経由、Reagan National Airport着の便に乗ることになりました。そこから、地下鉄でDCUnion Stationまで移動し、Amtrakの電車でBaltimorePenn Stationに行きました($2040分くらいです)。実は、MARCというローカルの電車を使えば$7で行けたということを後で知ったのですが。Penn Stationにはすでに臨床実習でBaltimoreに来ていた同級生が迎えに来てくれたので、私は大学までバスで行ったのですが、タクシーを使った方が無難です(チップを含め$10弱です)。

 寮を含めJHUの施設に自由に出入りするには、badgeという磁気カードが必要となります。ただし、これは実習開始日(平日の9時以降)にならないと受け取れないので、到着した週末は警備員さんに寮の扉を開けてもらっていました。

 寮には臨床実習で先に来ていた同級生や、東北大から来ていた医学生がいたため、到着した夜はずっと日本語をしゃべっていましたが、寮にはアメリカの他の地域やパキスタン、中国、韓国、ペルー、イタリアといった様々な地域から来た医学生や保健学生がいて、声をかければすぐ仲良くしてくれます。それぞれの地域の医療や医学教育のシステム、将来のことなどを話すことで、アメリカだけではなく世界中の医療が垣間見れます。

 

<Getting Around>

Baltimoreはアメリカでも名高く治安が悪い街だと言われています。実際に、大学の北側・東側は家の窓ガラスに鉄格子が張られていて、玄関がコンクリ固めで廃墟になっている建物が大量にある、というような感じでした。ただ、Inner Harbor, Fells Point, Federal Hillといった繁華街は最近再開発が進んでいるため比較的治安が良く、深夜近くでも2人以上で歩いていれば危ない目には遭いません。物乞いの人や黒人のお兄ちゃんにお金をせびられることもありますが、英語を知らないふりをして”Sorry, sorry”と言い続けていれば放っておいてくれます。大学の目の前には地下鉄の駅があり、downtownの方に行く無料の循環バスも走っています。(Charm City Circulator路線図:http://www.charmcitycirculator.com/content/route-maps)。これらとタクシーを上手く組み合わせれば、安全に大学から移動ができます。逆に、港周辺の繁華街以外の場所では、日が暮れてから不必要に歩き回るということは止めた方が良いでしょう。

 街の中心部やPenn Station周辺でなければ、タクシーはまずつかまりません。携帯を買っておけば、どこでも、何時でもタクシーを呼んで、安全に大学に帰ることができます。(私はGallery at Inner HarborというモールにあったT-mobileで、$40程で端末+1ヵ月国内・国際電話とtextingし放題のプランを購入し、Yellow Cab 1-410-685-1212を登録しておきました。)担当の教官や寮でできた知り合いなどと連絡をとることも考えて、携帯は持っておいた方が良いでしょう。

 私は市内をあまり観光しなかったのですが、Inner Harbor周辺には水族館や、南北戦争にゆかりがある名所が数々あります。また、アメリカの国歌the Star-Spangled Bannerが書かれたFort McHenryという場所も郊外にあり、アメリカ史に興味がある人にはそれなりに見ごたえがあるエリアです。

 

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現地で一番困ったのは食生活かもしれません。大学の周りには2 kmぐらい移動しないと(安全な地帯にある)スーパーがなく、周辺の数少ない店も病院の食堂のバーガーショップ以外は89時くらいに閉店してしまいます。短期留学生用の寮にはキッチンがなく、共用の流し・電子レンジ・小さな冷蔵庫があるのみでした。(冷蔵庫は1ヵ月$20ほどで個人用の物を借りられましたが、先着順などがあったようです。)循環バスで15分ぐらいのところにorganic系のスーパーと薬局があったので、私はそこで週末にシリアルや電子レンジOKの食材を買って、朝晩をしのいでいました。しっかりした食材を手に入れたければ、週2回大学からモールへとバスが出ていますし(ただ時間が早く、混んでいる)、タクシーを使えばH-martという日本の食材を売っている店などへも足を伸ばせます。

外食に関しては、Downtownへ出歩いてみれば選択肢は一気に広がります。Inner Harborの港の周りには再開発で立てられたfood courtのようなものもありますし、ブラジリアンバーベキュー、タイ料理、シーフード、バイソンなどが食べられるバーガーショップなど、短期間で楽しむには十分な店が揃っています。また、明るい間であれば、市内のマーケットに行って名物のcrab cakeや生カキを食することもお勧めです。

 

<Going Outside the City>

 BaltimoreからはBoltbus, Megabus, Goto Busといった高速バスを用いてNYC$20ちょっとで行くことができます。BoltbusPenn Stationから出ているため大学からのアクセスは良いのですが(市の循環バス、大学のシャトルで行ける)、直前に予約しようとすると満席のことがあるので注意して下さい。

 Philadelphiaには、U Pennにいる同級生に会いに行ったり、その同級生と東大出身の倉知先生に誘われてラボ見学に行き、日本人研究者の会に顔を出させてもらったため、1ヵ月の期間中に2回行きました。上記のバス会社はBaltimorePhillyを結ぶ路線を運行していない為、Amtrakで行くのがベストでしょう($40かかりますが、快適です。)DCへは、前述したようにAmtrak又はMARC trainを使えば1時間ほどで出られます。

 ただし、アメリカの交通機関は日本のものに比べて時間にルーズなので、少し余裕を持って予定を立てましょう。実際、乗客と運転手が喧嘩を始めてバスが1時間近く出発しなかったり、無断乗車をした乗客がいきなり逮捕されたりとトラブルが起こって(体験談)、予想外に遅れることがたまにあります。

 

6. 実習内容

月曜日の9時にOffice of Visiting Studentsで手続きを済ませ、JHU badgeを入手して、病棟のすぐ隣にあった澤先生のラボに挨拶に行ったところ、いきなり30分ほど話をして下さり、現在の先生の研究のビジョンや、私が将来どういうことをしたいと考えているかなど、ちょっとしたdiscussionをしました。1ヵ月という短めの期間の中だが、実験に少し参加しつつ、色々な人の話を聞いて、色々なprojectを見て、アメリカでの研究のありかたを勉強すると良いだろうと言ってくださりました。

1週間目は東大の学生がもう一人来ていて、JHU内のラボを色々と回り、共同研究者の方々の話を聞きdiscussionをしました。恥ずかしながら専門的な知識があまりなかった私にとってはdiscussionと言うよりも半分lectureのような形になってしまいましたが、統合失調症の色々な側面からのアプローチを勉強することができました。Interdisciplinaryにかなりオープンに情報が交換されていることも感じられ、アメリカの研究の場を1週間目にして実感することができました。

2週間目から実験に本格的に参加することになり、加野先生が進めている、患者さんのfibroblastからinduced neuronal cells iN cells)を作成するprojectに関われることになりました。以前、フリークォーターで電気生理をやったことがあったのですが丁度ラボでpatch clampの機械のセッティングを始めるところ(!)だったため、ではmolecularなことをやってみたいと相談したところ、iN cellを作成する一通りの流れ(プラスミド精製→ウィルス作成→fibroblastに感染させる)をやりましょう、という話になりました。Research assistantAshley、中国の第四軍医大学の整形外科であったDr. Kong、九州大学精神科の加藤先生と一緒に、主にvirus作成に使うlentivirusのプラスミド精製を行いながら、projectの他のステップも体験させていただきました。また、空いた時間に他の研究員の方に声をかけ、ラボ内の他のprojectにも少しずつ参加させてもらいました(bipolar disorderの患者さんの鼻粘膜生検、マウス脳へのneuron precursorstereotactical injection、など)。

研究の他にも、毎週のlab meetingに参加し外部の先生のpresentationを聞き、Ashleyに誘われ共同研究をしているラボのmeetingに出て、毎週のpsychiatryのセミナーやgrand rounds(大講堂の中でプレゼンテーション、患者さんの問診をし、ディスカッションをする)を聞きに行ったり、JHUでの研究・教育をこれでもかと言うほどに体験させていただきました。また、ラボではhumanの鼻粘膜やfibroblastを使用する研究を行っているため患者さんと接する機会もあり、observerとして問診やWAIS-Rの施行を見学させていただくこともできました。

ラボには日本人が多かったのですが(私の面倒を見てくれた加野先生も東大出身の方でした)、全員グラントを自分で取ってきた方々で、それぞれ脳科学、免疫学などバックグラウンドをもっている人ばかりでした。その他にも、上記のような軍の整形外科でiN cellの技術を学びに来ているDr. Konginduced microgliaの研究に新たに参加しに来たギリシャ系イギリス人の方など、様々なバックグラウンドの人が集まり、情報交換が出来たのも魅力的でした。Study roomで論文の内容や、医学以外の話題(「日本でボディータッチってどの程度許されるの?」)を色々と話し合ったのは楽しい思い出です。

実験自体は3週間という短い期間になってしまったということもあって、データとしては残せた物は無いのですが、transfection用のプラスミドを残すことはできました(この体験記を書いている今頃、私の抽出したプラスミドで作ったウィルスでinfectしたiN cellが分化しているはずです)。また、1ヵ月間にしてはかなり行ったと思うplasmid精製のprotocolを書いてみないかと提案され、ラボに何かしら形があるものを残して日本に帰ることができました。

 

7. 感想

 日本にいた間、研究に2ヶ月ほどしか関わらなかった自分が日米の差をどうこう言うのは不可能だと思いますが、今回の留学で感じたのは研究の場が非常にopenで流動的だったということです。ラボには世界中から、多彩なバックグラウンドの人が集まり、JHU内でも精神科、脳科学、免疫学、公衆衛生学といった他分野にまたがった研究と情報の共有がなされていました。また、JHUという大学の特性なのかもしれませんが、セミナーやミーティングではColumbia, U of Torontoなど他大学からも多くの人がかなりの頻度で話をしに訪れ、色々なレベルで交流があるのだと感じました。このオープンさが9時〜5時出勤でもアメリカの研究者が成果を出せる理由の一つなのかと感じました。(澤ラボはJHUでもかなりストイックだったらしく、週末にも多くの人が出勤していましたが。)

 また、ラボ内のassistantの人たちや、寮に住んでいたPublic School of Healthの学生にも刺激を受けました。彼らはほぼ私と同い年だったのですが、一度bachelorを取って大学を卒業していて、何も資格・degreeを持っていない私と違いspecialtyがある訳です。彼らに色々教えてもらいながら、将来medical schoolに入りたい、と言っている彼らの話を聞き、まだまだ自分には学ぶことがあると痛感しました。ラボに来ていたイタリア人の教養学部生とそれぞれの国の医療制度について話し合う機会もあって(イタリアは病院に与えられる医療費が決まっているらしい)、日本の医学・医療を客観視することができ、色々考えさせられました。

医学部での生活が後1年しか残されていない今、卒業までに出来ることは限られているとは思いますが、10数年後、こういう自由な場で、このように世界中から集まる志の高い人たちと並び渡り合っていくにはどうすれば良いか。いずれまた海外に渡り、日本に何らかの形で還元できる物はあるか。卒業まで、そして卒業以降も、もっと学び続けなければなりませんね。

 

8. 謝辞

最後に、推薦していただいた教務委員会の方々、受け入れの手続きに関して再三アドバイスを下さった丸山先生をはじめとする国際交流室の皆様、Johns Hopkinsで受け入れて頂いた澤先生、research coordinatorのレマさん、加野先生、その他ラボの皆様、体験談を聞かせて頂いた先輩方のお世話になり、結果として今回の留学が可能になりました。貴重な体験をさせていただいたことを、この場を借りて深く御礼を申し上げます。